こんにちは!30代パンセクシュアルのフジです。
今期のドラマもLGBTQに関する内容が含まれる作品が多くありましたね!
積極的に見ていたわけではありませんが、先日実家に帰省した際にドラマをよく見る母に教えてもらい、一緒に見ました。
たった1話分しか見れませんでしたが、どれも面白く、もっと早く見ていればよかった…と思いましたが、母からこれまでのストーリーを聞いて何となく把握。
職場の若者たちも見ている子が多く、そちらからも教えてもらい、だいたい把握。
LGBTQに関心のあるはずの自分のほうが取り残されているようでした(苦笑)
LGBTQと言っても、ジェンダーやセクシュアリティなどその範囲は広いと思います。
最近読んだゲイが主人公の小説では、そのセクシュアリティが作品の主題とばかり思って読み始めましたが、もっと大事なことがちりばめられていることに気づきました。
幼少期から男の子らしくなかった主人公に彼の両親は一時期悩みますが、最終的に母親から「人と違うような生き方をしなさい」と告げられます。
「普通」とされることから「違っていていい」という「違い」の受け入れは、当事者でもその家族でも簡単にできることではないかと思います。
しかも、これが現代であれば「多様性を認めよう」といったことで最近よく目にするかもしれませんが、この小説は1930年代のアメリカの作品なので、このような内容は当時の人々にとって非常に斬新だっただろうと思いました。
そして、主人公は母親からの「人と違うくあること」という教えを徐々にプレッシャーに感じるようになります。
彼は少々女の子っぽいだけであって、「普通」とみなされる男の子のあり方を完全に否定したわけではありません。
母親によって強制的にマイノリティの枠組みに入れられたとも言えます。
親が「普通」を押し付けてくるのはよく聞きますが、「違うこと」を強いるのは、時代に関係なく珍しいケースだと思い、ついつい読み入ってしまいました。
その一方で、若者にすすめられた現代小説も読んでみました。
二人の男子高校生の恋愛がメインのBL小説かなと思ってみたら、ちょっと違っていました。
もちろん、その二人の恋愛が主軸にはなるのですが、二人は結ばれたあともたびたび気持ちのすれ違いが起こります。
それは二人それぞれが抱える「好き」が違った性質のものだからだと思います。
一方は性的対象として好き(対象が同性であるというだけで性的欲望はある)で、もう一方は崇拝の対象としての好き(見ているだけでいい、触れられなくてもいい)というものでした。
「好き」同士なのですが、その意味合いや度合いに違いが見られると、ズレが生じるのだなと感じました。
こういったことは、同性愛だからというわけではなく、異性愛にも十分に言えることですよね。
たまたま出会った小説から、ジェンダーやセクシュアリティのマジョリティ/マイノリティという枠組みを超えたメッセージを読み取ることができ、新たな発見をさせてもらいました!
人間誰もが何らかの「当事者」であって、それぞれに多かれ少なかれドラマがあるのだと思うと、LGBTQも他人事ではなく感じられるかもしれません。
日本セクシュアルマイノリティ協会のボランティア活動
- ボランティアに参加する
ありのままの自分で、胸を張って生きていける。そんな社会の実現を目指して一緒に活動してみませんか?何ができるかわからないけど協力したい、活動したいという方、自分らしく輝ける場所として何かを表現したいという方、一緒に活動しましょう。
https://npojlga.or.jp/volunteer/active-menber
- イベントに参加したい学生の方々
LGBTQ当事者へのインタビュー会を開催しています。授業での取り組みや研究の一環としてインタビューしたい方、ぜひこちらのイベントにご参加ください。
当事者インタビューの詳細はコチラをご覧ください。
https://npojlga.or.jp/event/list/detail_interview.html
- 設立メンバーインタビュー会
当協会がこれまでに行ってきたLGBTQ+への取り組みや協会の歩みなどについて、設立メンバーにインタビューできるイベントを2か月に1回開催しております。
協会設立メンバー(現代表)へのインタビューの詳細はコチラをご覧ください。
https://npojlga.or.jp/event/list/detail_condinterview.html