こんにちは。20代パンセクシュアルのゆなちゃんです。
今日は、中学校の教育実習で感じた平等と公平についてお話しします。(守秘義務の関係で具体的な事例等はお話しできませんがご了承ください。)
平等と公平というとこのようなイラストを目にします。
確かに、このイラストを見ると平等と公平の違いが分かります。ですが、一体この箱は誰が用意するのでしょうか?そして誰がこの箱を平等から公平な状態にするのでしょうか?
この問題について、子供たちの姿から解決のヒントを得ることができました。
当然ですが、教室内では平等に授業が行われます。担当クラスのカラーによってある程度発問の仕方や教え方を変えることは可能なのですが、クラスに30人の生徒がいれば一人一人に異なる授業を行うことはできません。しかし、よく考えれば一人一人能力差は必ずありますよね。一方、特別支援学級では少人数制を採り、マンツーマンで個人の能力に応じた形の授業を行っています。まさに、特別支援学級での授業こそが教育の原点なのですが、そのように公平な要素を通常学級に取り入れて行くことは非常に難しく、かなり悩みました。
初めは、勉強に遅れをとっている生徒に対しフォローしたり、机間巡視中に声をかけたりしていました。しかし、限られた時間の中で全ての生徒に目を配ることには限界があります。そのような時、ある事に気がつきました。それは私が声をかけなくても、生徒同士で問題について話し合い、教えあって 「なるほどね。」と理解していることです。その姿を見て、大切なことは教員が生徒に分からせるのではなく、教員が与えた知識を元に生徒同士で話し合わせ、皆で答えを導き出すことであると感じました。
つまり、先程のイラストで考えると教員は箱を平等に与える役なのではないかと感じます。あとは生徒に委ねれば、彼らは自主的にそれらをどう使うべきか考え、時には他者と知識を分け合うのです。教員
つまり、先程のイラストで考えると教員は箱を平等に与える役なのではないかと感じます。あとは生徒に委ねれば、彼らは自主的にそれらをどう使うべきか考え、時には他者と知識を分け合うのです。
教員 はしっかり机間巡視をして、生徒がその話し合いに参加できているか、考えようとしているかを確認し、状況に応じてヒントを与えていけば、生徒は皆で助け合って理解しようと頑張ります。生徒たちは、無意識のうちに自分たちで教室に公平を作り上げているのです。
これは、大人でも大切なことだと感じました。集団生活を送る以上平等は避けられません。でも指をくわえて平等が公平になることを待っていては、社会は何も与えてくれません。だからこそ、子供たちのように平等をどう利用して公平に変えていくか考える必要があると私は思います。
しかしながら、平等と公平については人それぞれ感覚が異なるのも事実です。だからこそ、より良い社会作りのために、今後も議論を深めていけると良いのではないかと思います。
日本セクシュアルマイノリティ協会のボランティア活動
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