Tomyと申します!今回のブログではセクシュアリティを名乗ることについて書いてみたいと思います。
私はバイセクシュアル(異性にも同性にも性愛感情を抱くこと)を自称しています。
が、この名乗りに違和感を抱くことがしばしばあります。
私はこれまで同性しか好きになった経験はないのですが、異性の芸能人に性愛的に惹かれるという気持は理解できますし、今は全くそう思わなくても、いつか異性に惹かれることがあるかもしれないと感じています。こうした自分の性のあり方をバイセクシュアルだと思ってきたのですが、EESa!で多様なセクシュアリティ・年代の人と関わるうちに、なにか違うなと感じるようになりました。
しばらくこの違和感について考えた結果、これには名乗ることのネガティブさが関わっているんじゃないかな、という結論に辿り着きました。
名乗ることには確かに、自分の存在を確定させ、仲間を見つけることや、コミュニケーションを円滑に進めることができるという利点があるとは思いますし、私も活動の中でこうした利点を実感しています。自分が何者かを示す分かりやすい単語があれば、それだけでおさまる不安も確かにありますし、何より自己紹介が手短にすみ、一言で同じ名前を持つ人達に仲間だと認識してもらえます。
一方、名乗ってしまうとそこから変わることが難しくなったり、その名前に紐づいた問題を引き受けざるをえなくなったりするという欠点もあるかと思います。
そしてこうしたネガティブさは、「バイセクシュアル」が「自分が名乗った名前」ではなくて「他人が作った名前(略称)」だから生じるのかなと(今のところは)考えています。
多様な性という考え方が浸透するにつれ、バイセクシュアル、パンセクシュアル、アロマンティック……とそれぞれの性のあり方に応じて名前が考え出されてきました。もちろん、そうやって作られた名前のおかげで自分が何者かを決めることができ、救われることもたくさんありますが、一方でそうした名前はひとり一人微妙に違うはずだった性のあり方を抽象化して分かりやすくラベリングした「略称」でもあると思います。そういう名前を使わなくても、「これまで同性にしか惹かれてきませんでしたが、異性を性愛的に好きになるという感情に何となく理解はありますし、これから異性を好きになることがあるかもしれません」と長々と説明することでも自分のセクシュアリティを他人に伝えることも可能だということを、もっと考えてみてもいいんじゃないかと思います。
だから名乗ることはダメなんだ!という訳ではなく、自分のセクシュアリティを確定させない、というクエスチョニングという性的指向があったり、性的少数者だという一点でクィアという名乗りを使えたりと、名乗りを使いつつそのネガティブさを避ける方法はいくつかあると思います。
名乗りを否定するわけではなく、セクシュアリティの名前は自分が名乗るもののように見えて、押し付けられただけのものかもしれないという気付きをぜひ共有してみたかったので、今回ブログに書かせていただきました。
実際、ここまで名乗りのネガティブさについて考えてきたのですが、「バイセクシュアル」という「略称」はコミュニケーションの上で大変便利なのでしばらくはこう名乗るんだろうな、というのが正直なところです。むしろそれくらい、「便利だからこう名乗っておこう」くらいの軽やかな名乗りが自分には合っていると今は感じています。
その代わり親しい人と話す時など、時間をかけてコミュニケーションできる場合は、自分の言葉を尽くして自らの性のあり方を知ってもらおうかなと思っています。
セクシュアリティに悩んでいる、一人でも多くの方にこのブログが届いていると嬉しいです。読んでいただきありがとうございました。
日本セクシュアルマイノリティ協会のボランティア活動
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