場の眠らせ姫は赤い三角と共に交差積分で踊る

グイドです。授業でロシア未来派のVictory Over the Sun(Aleksei Kruchonykh,1913)というオペラがあるということを知りました。もう講演時期は過ぎてしまったみたいなのですが、見たい!ナニコレ!見た過ぎる!という思いだけは収まらず、こんな文章が生まれました↓内容はほとんど知りません。ただ「太陽を捉えて従来の価値観である“時間”と“重力”を打倒したい」ということしか知りません。

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目が覚めたとき、そこは色と形の世界だった。
四角やら丸やら三角やら、決して複雑とは言えない線分のひしめき合いが、瞼の裏でちらちらと光った。赤や黄色や青や、色もどれも単純なものばかりで、思わず喉の奥がごくん、と唸る。
―――僕は、誰だ?
単調な色と形だけの世界。それなのに、それらがこうも一遍に押し寄せてくると、ある種の抽象的な奇妙な造形のようなものが浮かび上がって来て、黙殺できない何かが潜んでいた。それにしても相変わらず時計の針はカチカチと五月蠅いし、僕を閉じ込める部屋が窮屈で仕方なかった。もう少し縦に長ければ体を曲げずに寝そべることが出来るのに、もう少し横に長ければ足を好きな角度に広げられるのに、いつもそんなことばかり考えていた。いつもそうやってこことは違う何かばかり空想して、夢は夢のままで放置して何も現実らしいものはなくて、やがて記憶からも零れ落ちていくのが僕の生き方だった。
―――僕は、誰だ?

「よお、ヘーゲマスナス」
夢想へ飛翔している最中に、突如脳天から声が降り注いで全身が跳ね上がった。いや、実際はそのような体の動きはなかったのかもしれないが、突然の赤い三角形の声は、空想の翼をへし折るだけの威力を持っていた。
「よく眠っていたな。午後中8時に眠りについてそこから静止時間にして13トクトルが経過した。移動距離は12.896メニスで時空抵抗係数は近似的に8.9だったとすると、今の君の時間は午前前4時になる。おはよう↑→」
赤い三角はその凛々しい顔立ちをより一層とがらせて、フォーセップ のような笑顔を向けて来た。
「……うぅん?」
冷たい水を一斉に浴びたように混乱した僕の脳は、聴覚からの入力と視覚からの入力を言語野で統合出来ずにいた。いやそれどころか、一時的にではあるが聴覚を誤って触覚の神経回路に接続してしまい、僕の耳から入った音は右手薬指の第二関節と小腸の走状筋と腎臓の皮質とに均等に分配されて、不快感を伴う圧を生じさせた。
「うぐぎぎぐぎぎゃああ!きききき、みないは、なにそふれそす?」
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったな。もっとも65億光年前シレバスの君にはうんざりされるほど、私のことについては語らせてもらったのだが……。ああ、かわいそうに。そんなに美しい悲鳴のような声をあげて。君の咬筋部が剥がれ落ちそうになっている」
相変わらず端正な赤の三角形は、グラファイトのように真っ黒な手を優しく差し伸べて、僕の上の方を抱きかかえた。
「私はグランチオス。第9太陽略奪計画、特殊交差積分部隊2等技術員だ。」
「ぐぐぐぐぐらんんんぬうううちぃ?」
「ああ、そうだグランチオス」
「ぐらぐらぐらああ……。・・…・…・。くはっ!はっはっ、ハッハッハァ。だ、誰だお前!僕はグランチオスなんて知らないし、なんだよさっきから、意味不明な言葉ばかりしゃべって!」
ようやく脳が正常に動き始めた途端、これまでの言語情報が一度に全身に放出されたため僕は危うく喉を詰まらせそうになった。と同時に、僕がさっきまで飛んでいた夢の空も規則的に時を刻む音も窮屈なブラックボックスも、放射崩壊を起こしてガラガラ消え去って、急に悲しさのようなものがこみあげてきた。
「ハハハッ!それも当然だな。なんだって君は第9太陽略奪計画、特殊交差積分部隊特殊清掃員、通称“場の眠らせ姫”だ。一般的に眠らせ姫は第4思弁力学を9次元に拡張する際に生じる余剰化学エネルギーを取り込むせいで化学暴走を起こし、記憶や人格というメカニズムを維持できない。君の場合は例外的に、外部装置セスシナとの相性がいいおかげで、断続的なメモリーを低温保存できるわけだが、前回の任務のようにK基底核を破壊されて眠りについたのでは、保存プロセスも正常に作動しなかっただろう」
「だから、それが意味分かんないんだって!複雑なジャーゴンみないなのまくしたててさ、僕にも分かるように説明してよ!」
「ううん↑?大丈夫だ。君は心が優しいからな。それに私は君のことを深く愛している。やさしさと愛は非常にフロンシンクロ係数がいいんだ。だからじき混迷から抜け出せるようになる」
「混迷しているのは、お前の方だろ!」
「うーん↘。それじゃあ、“お前たち”ということになるぞ」
はっと赤い三角の肩ごしに空間の遠方点を見やると、そこには黄色い丸の顔に青の歪んだ台形の胴体のやつや、青い六角形の手足に白い円柱の内臓がむき出しになっているやつ、赤い丸の首に無数の黒い三角錐を生やしたやつ、そんな調子のやつらが大量に蠢いていた。
「え、え、えっ」
さっきぼんやりとした思考の中で網膜に映っていたのはこいつらに違いないのだろう。それにしても、どうしてこんなに抽象的な姿ばかりで、頼りになりそうなテーゼはどこにもないのだろう。
「大丈夫。君はすぐ、私たちの仲間であることを理解するさ」
僕の内ももと顎と耳を抱きしめる赤い三角の声が視界を覆う。いろんな形と色がある中で、やっぱりこいつのが一番美しく整っていて、なんだか腹が立った。
「さあ、あまりぐずぐずしてはいられないね。時空移動船に乗り込もう!太陽を奪って、この世界の闇のテーゼとして君臨し続ける“時間”と“重力”を破壊するんだ!」
分からなかった。自分が誰なのかさえ分からなかった。全てわからないのに、赤い三角だけが、その具体的な意味ではなく心に滴下する意味のような無意識だけが確かなような気がして、僕はそのおぞましい船に乗り込む他ないのだと悟った・

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