マジョリティの暴力

「え?それヤバいやつじゃないんですか!?」
出会ったばかりの新入生にこう言われた。二学年、年上の私の何という発言に対し、この言葉が出てきたのか、少し想像して欲しい。

私は現在大学生だ。専門分野は勿論だが、他の分野についても気の向くままに勉強したりもする。セクシュアリティは、ジニセクシュアルのノンバイナリー。読書が好きで、グイドという名前もある物語の登場人物からとってきたのだが、結構気に入っている。

さて、私はその方に「何か入りたいサークルはある?」と話しかけたのだが、逆に私は何のサークルに入っているのかと尋ねられた。私は聖書を読んでメンバー同士で議論し合うサークルだと答えた。そこに冒頭の返答が返ってきた。握っていた紙コップの中で、紅茶が動揺しているのが分かった。

いや、そのいい方は酷いんじゃ―
私は特に信仰は持っていないけれど、クリスチャンの友達も沢山いて―

―いや、別に俺も友達ならいいんですよ
―でもあなたがクリスチャンなら、逃げようと思いましたもん(笑)

唯一マスクで隠せなかった私の目元は、涙が零れ出そうなのを悟られなかっただろうか?

私はこの新入生の発言に、例の荒井元秘書による性的マイノリティ「見るのも嫌だ」発言と似たものを感じ、恐怖を覚えてしまった。

勿論、二人の立場や話の内容には大きな差異があるため、一概に一括りにすることは出来ない。昨今では統一教会の問題もあり、社会全体が宗教に厳しい目を向けているという現状や、新入生にとっては上回生という存在自体が一定の威圧感を与えてしまうものであることは仕方がないのかもしれない。しかし別に私は何も宗教の勧誘をしようとして話しかけたのではなく、向こうが訊いてきたから答えただけなのだ。

また仮に「ヤバい」「逃げたい」と思ったとしても、そのような人を傷つける可能性の高い言葉を軽々しく口にするだろうか?もし私がクリスチャンだったら?或いはその人の声が聞こえる位置にクリスチャンの方がいたら?同様に、「見るのも嫌だ」「隣に住んでいたら嫌だ」と思っていたとしても、国を率いる立場にもあろう人が、軽々しく口にしていいのだろうか?

日本ではあまり一般的な存在として認識されていないのかもしれないが、クリスチャンだってセクシュアルマイノリティだって、普通に生きて暮らしているのだ。今日だってあなたと同じように通勤列車の人ごみにイラつき、花粉症に苦しみ、桜を見てきれいだと思い、愛犬の散歩をして、人を助けたり助けられたりしながら生きているのだ。そのような異常でも何でもない、等身大の生をもつ人がすぐ身近にいるにもかかわらず、差別と偏見にまみれた言葉(発言をした張本人たちは差別とも偏見とも思っていない)が行き交ってしまうのは、社会にマジョリティの暴力が強く根付いているからであろう。

ここでいうマジョリティというのは、何も数の問題ではない。社会的に正当だと認められ、存在が広く知られているグループのことを指す。マジョリティからすれば、マイノリティは「いじょう」な存在であり、「いじょう」からこそ普通なら人に言わないことも含めて何を言っても構わないのである。これが差別を生み出す基本原理である。またマジョリティからすれば、マイノリティは「いない」存在であり、「いない」からこそ当事者の声は聴かずに誤った情報を鵜呑みにするのである。これが偏見を生み出す基本原理である。

教会にも行ったことのない人がクリスチャンによる勧誘は危険だと言い、生物学も学んだことのない人が同性愛は自然の摂理に反しているというのである。こうした人たちは、「何も知らずに、知ろうともしなかった人のこと」*1を「嫌い」だと言って「醜い言葉」で自分の恐怖心を「誤魔化して」いるのである。教会に行けば、勧誘が危険かどうか以前にまず勧誘なんてされないことはわかるだろうし、生物学を学べば、ヒト以外の種でも同性パートナーや同性の性行為の例が当たり前に見られるということに気づくだろう。*2

本当に、少しでもいいから、知ってくれれば、と思う。もしくは身近に当事者の方がいれば……。「ヤバい」「嫌だ」と言ってしまう前に、ふとその人の顔が浮かんで、言うのを思いとどまってくれたかもしれない。まあ、実際はこの日本でも知る機会は沢山用意されているし、身近に当事者の方も結構いると思うのだが。

今回私は宗教とLGBT+の問題をメインで取り上げたが、私がたまたまこの二つの話題を選んだというだけで、マイノリティの問題は勿論これだけにとどまらない。レストランやスーパーの表示が不十分で判断に悩むヴィーガンの方、いつ再収容されるか分かららず先が見えない中暮らす仮放免状態の難民の方、日本ではまだまだ「いじょう」で「いない」存在にされている。

EESa!という団体はセクシュアルマイノリティ支援というところに軸足を置くが、2020年に改定された運営理念からは「性」という言葉が削除されている。一方で、「安心」というキーワードは維持され、新たに「教育」や「人とのつながり」という文言が加わった。全ての人が安心して暮らすことの出来る社会の実現には、表面的な問題に対処するだけでなく、むしろ社会に根付くマジョリティの暴力を撲滅することが必要になってくるであろう。マジョリティの暴力撲滅の一つの切り口として、たまたまEESa!という団体はセクシュアルマイノリティを選んだだけであって、その運営理念に必ずしも「性」という言葉は必要ないのではないかという話になったのかもしれない。それよりも、「教育」=「知ること」や「人とのつながり」=「当事者や理解者に出会うこと」を明記する方が重要だと考えたのではないだろうか。

勿論、これはEESa!に入って数か月しかたっていない私の解釈なので、本当はもっと複雑な事情があるとは思うが。いずれにせよ、私たちLGBT+が直面する/これからするかもしれない差別や偏見はマジョリティの暴力に基づくものであるということ、そしてこのマジョリティの暴力構造は他のマイノリティ問題にとっても例外ではないこと、だからこそ私たちは自分が属している集団だけでなくあらゆるマイノリティグループに対する正しい理解を得ようと努めるべきであること、この3点は重要であろう。そうでなければ時代が進んでも、また差別や偏見が再生産されてしまうだけだ。

*1続く3つの鉤括弧内まで、SEKAI NO OWARIの「プレゼント」(作詞:Saori、作曲:Nakajin、2015年発売)から引用。
*2勿論本ブログ執筆者は全ての教会に足を運んだわけではなく、また全生物種に関する知識を持ち合わせているわけではない。したがって、ここに記載した内容は必ずしも全パターンに当てはまるというわけではないが、今の日本社会には宗教や同性愛に対する誤ったイメージが浸透しているということは事実である。

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